本市では、守口市駅北側を対象としたエリアの価値の向上に向け、公民が連携して、共にまちづくりに取り組むためのアクションプランとして、令和5年3月に「守口市駅北側エリアリノベーション戦略」を策定しました。
戦略の一環として、旧徳永家住宅については、伝統的な家屋を単に「保存」するだけでなく、市民のみなさんが日常的に訪れることができ、文禄堤の歴史性を誇りに感じる、地域コミュニティの核になるような場所を創出することを目的に、「旧徳永家住宅活用事業」を実施しています。
旧徳永家住宅について
旧徳永家住宅は、豊臣秀吉によって淀川の左岸に築かれた、旧京街道(文禄堤)の上に位置し、明治期までは敷地の西側で旧淀川に近接し、河川との深いつながりを有していました。
明治後期の流路変更により、淀川との地理的に近しい関係は失われましたが、旧京街道側の敷地である主屋の建つ敷地東部と西側道路(ガレージ側)が旧淀川の川面と接する高低差として面影を残し、その景観は旧守口宿の歴史的町並みを形作る核として、重要な役割を果たしています。
文禄堤
文禄堤は、豊臣秀吉が文禄5年(1596)に、毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じて築かせた淀川左岸の堤防で、堤防上は京都大坂間の最短陸路として、京街道となりました。
文禄堤は総延長約27kmとされていますが、度重なる淀川の改修や開発工事等で堤の多くは姿を消しており、守口でのみ面影をしのぶことができる貴重な文化財です。