【主要文化財】遺跡

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大庭北遺跡

 古墳時代から中世にわたる複合遺跡です。6世紀後半のものと考えられる古墳を始め、平安時代後期の掘立柱建物、鎌倉時代の井戸、溝、里道が発見されています。

 遺物も多数出土し、なかでも正和4年(1315年)の年号をもつ木簡は末尾に花押のあるものとしては最古の例として、また、美濃の刻印をもつ須恵器は大阪府下で初めての出土例です。

所在地

守口市金田町2丁目・佐太東町2丁目周辺

八雲遺跡

 淀川左岸に位置する縄文時代から近世に至る大複合遺跡で、縄文時代晩期の滋賀里式土器、奈良時代の人面墨書土器、近世のくらわんか茶碗など多数の遺物が出土しています。

 また、畿内地域で初めての弥生時代玉作り工房跡も発見され、鉄石英やメノウ製の石ノミ、細石刃、細石核など珍しい遺物が多数出土しています。

所在地

守口市八雲北町1・2丁目周辺

八雲東遺跡

 縄文時代から近世に至る遺物が出土しています。ことに瓦器碗や土師皿など、中世の遺物が多量に出土しています。

 また、慶長元年(1596年)の伏見地震のときに生じたと考えられる、液状化した層と噴砂が明瞭に残っており、各方面から注目されました。

所在地

守口市八雲東町1丁目周辺

橋波西之町遺跡

 弥生土器の他、土師器・須恵器などが出土しています。

所在地

守口市橋波西之町1丁目周辺

東光町2丁目遺跡

 鎌倉時代の土釜が出土しており、井戸の跡かと考えられます。

所在地

守口市東光町2丁目周辺

文園町遺跡

 古墳時代前期の二重口縁壺が出土しています。

所在地

守口市文園町周辺

馬場町遺跡

 古墳時代のはそうが出土しています。また、中世の遺構・遺物も多数出土しています。

所在地

守口市馬場町1丁目周辺

長池町遺跡

 弥生時代中期の櫛描流水文壺、櫛描直線文壺が出土しています。また、中世の遺構・遺物も多数出土しています。

所在地

守口市長池町周辺

高瀬寺遺跡

 行基が建立し、七堂伽藍を備えていたと伝えられる寺院跡です。

 大正7〜8年(1918〜1919年)頃に奈良時代後期の複弁蓮華文軒丸瓦を初め、多数の瓦が出土したことにより、その存在が推定できます。

 同寺院に関連する遺構はまだ発見されていませんが、中世の井戸や柱穴、溝、日常雑器が多数発見されたことから、付近一帯に中世の集落が存在していたと考えられます。

 また、古墳時代の流路から、残りの良い土師器や須恵器が出土しています。

所在地

守口市馬場町2丁目周辺

梶遺跡

 古墳時代から中世に至る複合遺跡で、3基の古墳をはじめ、土坑墓や溝などが発見されています。通常、古墳は高台に造られていますが、標高(T.P.)3.6メートルという低湿地から見つかった例として注目されました。

 このうち6世紀初頭のものと考えられる全長約37メートルの帆立貝式前方後円墳の周溝内からは、円筒埴輪、朝顔形埴輪のほか、国内で2例目の出土となった珍しい牛形埴輪を初め、人物・鹿・猪・馬・家などの形象埴輪が多数出土しています。

 また、埴輪とともに首輪をした犬の装飾を施した須恵器壺なども出土しています。

 なお、第2号墳から出土した埴輪群は、市指定有形文化財(考古学資料第1号)に指定されています。

所在地

守口市佐太東町1丁目周辺

橋波東遺跡

 弥生時代の甕の破片、奈良時代の墨書土師器、中世の下駄やしゃもじなど、弥生時代から近世に至る遺物が出土しています。

所在地

守口市橋波東之町1丁目周辺

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