【市指定文化財】中西家文書(時代:近世~近代)

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 中西家は、近世初期に尾張(おわり)徳川家と姻戚(いんせき)関係をもったことなどから、尾張藩大坂天満蔵屋敷奉行等を務めた家で、同家に伝わったのが「中西家文書(もんじょ)」です。

 この古文書は、平成13年に守口市へ寄贈があり、その後、研究対象となっていました。その研究の成果から、本市の歴史を知るだけでなく、大坂天満蔵屋敷との関係や、尾張藩や当時の文化人との交流がうかがえるなど多様なものが含まれ、また『愛知県史』でも紹介された貴重な史料群であり、総数は9,946点にも上ります。本市の歴史資料第1号として、平成27年3月24日に有形文化財に指定しました。

 今回の指定により、建造物(江戸時代後期の建物。大阪府下でも珍しい在郷の武家屋敷で、主屋・大門を平成10年に市指定。現在はもりぐち歴史館「旧中西家住宅」として一般公開中)と併せて、守口市の文化財を一層高めるものと言えます。

主な史料の紹介

覚と書かれた書を写した写真

史料1.覚(おぼえ)〔天明7年(1787年)〕

 宝暦11年(1761年)に商人の加勢屋四郎三郎より、個人名義で五十一貫目もの銀を尾張藩宛てに借用した証文で、史料では甚右衛門(要宣)が借り入れていた銀の天明7年時点での残高を記したものです。

 連名で弟・與一右衛門(萬)、その長男の武佐二郎(衛)、次男・九一郎の名前が記されています。

 中西家が高額の資金の調達を行うなど、御三家である尾張藩大坂天満蔵屋敷奉行としての役割が大きかったことがうかがえるだけでなく、当時の大坂蔵屋敷関係の史料が残されていることが貴重であるといえます。

白い紙に流れるような筆で書かれた中西五郎右衛門宛秦鼎書状(部分) の写真

史料2.中西五郎右衛門宛秦鼎書状(部分) 〔文化10年(1813年)12月22日付〕

 中西五郎右衛門(融)から、尾張藩家臣で儒官(学者)の秦鼎(はた かなえ=近藤重蔵や塙保己一とも親交があり、幕府の動向にも精通した人物)に宛てた書状です。

 上記の史料は、古来よりカキツバタの花で有名な「八橋(やつはし)」(現在の愛知県知立市八橋町に位置する名所、古典『伊勢物語』にも登場)に作成された五郎右衛門による「石碑の文字」についての評判が記されています。

 当時の史跡顕彰運動の中で、筆耕者(文字)として著名であったことが大坂・名古屋まで知れ渡っており、その作品は好事家がこぞって収集するほどの名品で、五郎右衛門は文化人としても教養が深い人物であったことがうかがえます。

画像の二次使用は不可です。

所在地(建造物)

もりぐち歴史館「旧中西家住宅」(守口市大久保町4丁目2番26号)

交通アクセス

京阪バス「大久保」バス停から徒歩約5分

京阪電鉄「古川橋」駅からタウンくる(小型バス)で15分

地図情報

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